と或る酒場にて。


　王暦一〇七年春、フェイズ・スペース、記す。

（Ａｃｔ．１　元凶）
　冗談ではない。人足は昼は建築現場で汗流して現場監督を喜ばせていなければならない。ただでさえ、この前のモンスターの襲来で壊された南の城壁の修復で忙しいはずなのである。そんな昼間から酒場で酔っぱらって、お国の戦士相手に喧嘩を売る勇気を知れば、城の長老たちは公務放棄罪、騒擾罪、営業妨害罪その他併せて懲役十年の報酬を彼らに与えるだろう。将来のある若者の為の俺の心優しい配慮を、奴らは丁寧に祝福のラム酒を俺にぶっかけて感謝してくれた。
（Ａｃｔ．２　喧騒）
　一人目の男のパンチには、蠅がとまっていた。
　二人目の男は、猪も尻込みする勇壮さで、カウンターに突っ込んで、のびていた。
　とりあえず、こいつらは、翌朝、腫れ上がった自分の顔を撫でて悪態をつこうにも、今の一瞬の出来事を思い出すことは出来ないだろう。まあ、プロとアマの差ってヤツである。
　ギャラリーの大歓声とマスターの悲鳴が交錯する、冒険家どもの溜まり場となって久しい古びたクオンタムの酒場で、最後の男は腕力勝負を辞退した。それでも残念なことに彼は賢明な男ではなかった。逃げる間際の捨てぜりふ、
　「て、てめえのその女がどうなっても知らないからな！　せいぜい、夜道は気を付けさせな！」
（Ａｃｔ．３　凌辱）
　おんな？　俺はこんな汚い酒場に女を連れ込むセンスは持ち合わせていない。男の指差した方を見ると、確かに女はいた。目が合い、しばらく呆然とその顔を眺めている俺はさぞ滑稽に見えたに違いない。断っておくが、俺には断じて幼女嗜好の趣味はない。その女は、いや一般には少女と呼ばれているはずの彼女の年齢は四捨五入すれば十になるはずである。直属の近衛兵たるこの俺が隙を見せてしまったのも仕方ないと言えるだろう。男はまだ逃げてはいなかった。
（Ａｃｔ．４　藪蛇）
　バキッ！
　い、痛い。振り返って見ると殴った男がびびって逃げることもできずに突っ立っていた。こうなると哀れみを誘わないでもないが、黙認は教育上よろしくない。ちょうど先程の二人の男を片づけて戻ってきたマスターが、また増えた余分な労働に、ため息まじりの嫌な顔を見せた。
　「いい加減にしてくれよ、フィズ。三人の分の飲み代はおまえに払ってもらうからな」
　おい、ちょっと待て。からんできたのは奴らで俺は明らかな正当防衛である。つい先日のモンスター襲撃から命がけで町を守った王立軍近衛兵第二小隊長が、戦闘後の一服をするのに、どんな理由で見ず知らずの肉体労働者に殴りかからなければならないのだろう。いい加減、嫌になってきた。ツイてない休日はおとなしく家で寝てるに限る。諦めて金を放り出して、カウンターに背を向けると、ゴム毬みたいなものが勢い良く腕にあたって、こともあろうに、こう叫んだ。
　「助けてくれてありがとう！　おにいちゃん！！」
（Ａｃｔ．５　辟易）
　「いいかい、お嬢ちゃん、え、マトリクス・フィールド？　まあ、いいや、マックスちゃん」
　「マリー。人の名前を勝手に縮めるものでなくてよ」
　「……じゃあ、マリーちゃん。君の家はどこ？　君はなんでこんなところにいるのかな？」
　「あら、それは私の勝手でしょ。センサク好きな男はもてないわよ」
　たとえ顔がイフリートの炎のように熱くなっていても、周囲の忍び笑いが、大爆笑になったのは、はっきり判る。
　「あ、いや、そうじゃなくてね……」
　「まあ、いいわ。さっきカッコ良かったから教えてあげる」
　「フィズが女の子に好かれるなんて、明日は雨だわね」
　「うるさい、ウルッ！　外野はだまってろ！！」
　女の子なんか、大っ嫌いだ。
（Ａｃｔ．６　霹靂）
　とまあ、恥ずかしさが松明でもって俺の顔をなぶっていても、俺は自分を見失うことはない。すぐにマリーを腕に抱くと、そのまま床に押し倒した。ざわめく観衆はこの際気にしていられない。
　「きゃあ！　ちょっと、なにするのよ！！」
　腕の中でもがくマリーを解放してやると、俺はたったいままで立っていた黒ずんだ床を指差した。マリーの周り以外の全ての場所が凍りついた。周囲を見回す。が、どうやら奴らは今回は深追いはしないようだ。俺が安全を宣言すると、店の中は安堵のため息で満たされた。マリーの周り以外の全ての場所で。……お子様には少し説明が必要のようだ。
　「いいかい、お嬢ちゃん、これはグランドステートといって、とってもお元気に一生懸命、王様の椅子はいらないからゴミ箱に捨てましょうと頑張ってる人たちの紋付き毒矢ってヤツなんだけど、どうしてこんな物がここに突き刺さっているのかな？」
　お嬢ちゃんは俺のセリフの前半分しか聞いてくれなかったようだ。返事は見事に的を外していたが、物書きのネタくらいにはなるかも知れない。すなわち、こうである。
　「なんでパパの椅子を捨てなくっちゃいけないの？」
（Ａｃｔ．７　狼狽）
　ついに俺は力尽き、お姫様マリーちゃんの前にだらしなくしゃがみこんで、うなだれてしまった。そのときだった。店の外の方から叫び声があがった。それは、こう聞こえた。
　「火事だあ！！」
　見ると、クオンタムの酒場は四方を炎で囲まれていた。魔法によるものだ。木造建築といえども火矢くらいではそう簡単に逃げ道がなくなるほどに壁は燃え広がるものではない。中の人間を殲滅する一番確実な方法を選んだのだろう。目的がマトリクス・フィールド姫ただ一人であるのは間違いないというのに、敵はよほど石橋を叩いて壊す性格の持ち主らしい。それにしても、この国でまだ魔法が使える者がいるとは驚きだった。百年程前、この脈略のない危険でやっかいな御都合主義的武力は永遠に失われたはずだった。
　「おい、マスター！　逃げ道とか隠し通路とかないのか！？」
　「フィズがツケばかりしてなければ造れたかも知れんな」
　「今日の湿度にこの風向きなら、火のまわりは早そうだわ。さすが、むこうも考えて行動してるわね」
　「何ふたりで落ち着いてるんだよ！　そんな状況か！？　誰か何とかならないのか！？」
　叫んで周りを見回すと、冷静な二人が力強く思えてきた。酒場は完全にパニクっている。おはなしにならない。冒険者どもの集う酒場が聞いて呆れる。絶望が俺の心を支配した。
　ふと、マリーお姫様がしゃがみこんで、何かつぶやくのが見えた。店はもう煙で満たされている。苦しいのだろう。
　「大丈夫かい、マリーちゃん」
　やさしい言葉は、むなしいだけだった。お姫様は突然いきおいよく立ち上がると、かわいいソプラノヴォイスで、こう叫んだ。
　「我、契約し精霊の名のもとに命ずる！　いでよ、リバイアサン！！」

　彼女が召喚したのは、水を支配する聖なる蒼竜だった。


（Ａｃｔ．８　蛇足）
　有り難い水竜リバイアサンの聖なる水で満たされたクオンタムの酒場から、俺はお姫様マリーとともに、駆けつけた王立軍によって王宮まで連行された。その日は簡単な事情聴取で帰してくれた。近衛兵第二小隊長の身分と、姫を結果的に助けた事と、俺の疲労の限界が、待遇を良くさせてくれた。
　そして今、めちゃくちゃになったクオンタムの酒場に戻って、終わりそうにない後片付けに必死なマスターを横目に見ながら、カウンターに肘ついて俺はラム酒を呷っていた。
　「ていうと何かい、魔法使いになりたいっていう、お嬢ちゃんの小さい頃からの夢をパパに反対されて、ついに王宮を飛び出しちゃった、って訳だ」
　「ここに来れば、冒険者どもと一緒に修行に行けると思ったらしいぜ。お姫様の目にかなって良かったな、マスター」
　「うれしくないやい」
　「国から少しは見舞金が出ないのか。一応、お姫様のおかげで、こうなったわけだし」
　「出ないね。国も俺もみんな貧乏だからな。それにしても、本当におまえはやっかい事を引きずって歩いてる男だな。おまえと一緒にいてよく今まで生きてるなと思うよ。博物館行けば歩くやっかい事の標本として展示してくれるぞ」
　「もう、さすがにこれ以上のやっかい事はないだろ」
　とその時、若い、制服の着こなし方に実直かつ真面目と書かれている近衛兵が二人、酒場の入口で立ち止まった。
　「フェイズ・スペース殿はおられるか」
　「おられるよ。そこで酒かっくらってる奴。もし奴に報償金が出るんなら受取人は俺ってことで話はついている」
　「馬鹿言うな。で、用件は」
　「王の勅命による辞令です。王立軍近衛兵第二小隊長フェイズ・スペース、本日をもってその任を解き、明日よりマトリクス・Ｗ・フィールド姫親衛隊隊長に任命する。以上！」